新潟地方裁判所 昭和42年(ワ)242号 判決 1968年3月27日
新潟市嘉瀬二、三四五番地
原告 島津広
新潟市嘉瀬三、五〇六番地の二
被告 石附正
主文
一、被告は原告に対し、金一万六、〇〇〇円とこれに対する昭和四二年五月一八日以降完済まで、年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
事実
一、請求の趣旨
被告は原告に対し、金二七万円及びこれに対する訴状送達の翌日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は、被告の負担とする。
二、請求の原因
(1) 被告は、農業と共に豚の飼育をしているものであるが、昭和四一年七月中、原告の家の前庭を隔ててわずか八メートルの場所に間口一四・五四メートル(八間)、奥行六・三六メートル(三間半)の豚舎を建てて豚の飼育をしはじめ、現在約五〇頭の豚が右豚舎で飼育されている。
(2) このため、原告の家は、内外ともに臭気紛々として蠅の大郡が雨戸に附着して戸を開けることが出来ず、又、豚は昼夜の区別なく泣き叫ぶので原告は安眠できず病気を起し困っているものである。
(3) よって、原告は、精神的損害として、一ヶ月金三万円として、昭和四一年八月分より昭和四二年四月分まで九ヶ月分二七万円とこれに対する訴状送達の翌日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三、被告の答弁の趣旨。
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
四、請求の原因に対する被告の答弁。
(1) 請求原因第一項の事実は認めるが、その他の事実は否認する。
(2) 被告の居住地域は、構造改善指定地区で純農村地帯であり畜産農家が多く豚を飼うことは普通の状態である。豚舎は国及び市の助成により施設したもので清潔なものであり、市役所の指導で、薬剤散布をしているので蚊・蠅の発生は考えられない。又、豚は、常に静かに眠っており給飼の際多少声を出すにすぎない。
五、証拠≪省略≫
理由
一、被告が農業と共に豚の飼育をしているものであるところ、昭和四一年七月中、原告の家の前庭を隔てて八メートルの場所に間口一四・五四メートル(八間)、奥行六・三メートル(三間半)の豚舎を建て、同年八月初頃から豚を飼育しはじめ、現在右豚舎内で約五〇頭の豚を飼育していることは当事者間に争がないところ、≪証拠省略≫に検証の結果を綜合すると本件豚舎の新築、養豚に関連する経緯として次の事実を認めることができる。
(1) 被告方は、被告夫婦と子供三人に母の六人家族の専業農業で、被告夫婦だけで田約一・六ヘクタール(一町六反)、畑約一アール(一反)を耕作するかたわら小規模の養豚を手がけていたところ、被告が四級下肢身体傷害者のため人並の農外収入を得られないところから、従来の養豚を更に拡張すべく昭和四一年六月頃から豚舎新築工事に着手し翌月中に前述の豚舎を完成させた。
本件豚舎の構造は、収容力五〇頭を目途とし、間口一四・五四メートル奥行六・三メートルの軽量鉄骨で南側を除いて波アタン張、床はコンクリートを敷きつめ水を流して洗えるようにしてあり、豚舎と原告の宅地南側の境界線との間の部分は約二・四メートル幅のコンクリートで覆われた豚舎からの排泄物の溜が設けられている。
(2) 原告の住宅は、新潟市の新市域(旧中蒲原郡両川村大字嘉瀬)とはいえ、古くからの純農村地帯にあり、十数軒の家が集っている端の一軒である。それらの家の殆んどが農家でそのうち豚を飼っているのは被告のほか一軒ある。
原告は、昭和二四年か二五年頃現在地に住宅を新築して移り住んできた。そして、常時五、六羽の鶏を飼いつづけ、又宅地内の空地を小規模の野菜畑としているけれども非農家である。
本件豚舎の位置関係は別紙図面で示すとおりである。
(3) 本件豚舎内の豚の飼育は、昭和四一年九月頃子豚九頭を入れたのをはじめとして、徐々に増やして同年末頃には約四六頭になった。昭和四二年九月二一日の本件検証期日当時においては、生後約六ヶ月の豚が七頭、生後四ヶ月の豚が二頭、生後二・五ヶ月の豚が一一頭、生後一・五ヶ月の豚四頭が本件豚舎内で飼育されていた。
(4) 本件豚舎附近の風向は、朝のうち出風で豚舎から原告宅に向って吹き、夕方になると逆方向の下風に変わるのであるが、生憎原告宅が南東向に建てられ、窓が本件豚舎に向って開いているのである。
そこで、気候温暖な季節殊に夏期において出風が吹く時は本件豚舎から発生する家畜小屋特有の悪臭が強く流れ込み、又、風がなくとも約八メートルのへだたりがあるにすぎないだけに、臭は立ちこめるようにして入ってくるのである。更に、発生した蝿が飛んで来たり、餌を食べる時或は体を寄せ合う時等に豚が発する泣声が聞えてくるようになった。かくて、原告方では蠅の飛来は防虫網で或程度防ぎ得ても、悪臭と泣声はいかんともしがたい生活妨害になってしまった。
(5) 原告は、明治三八年一〇月五日生であるが、元来血圧が高く神経質な性格の持主で、日常生活においては徹底した清潔好きと見受けられる。それに加えて、昭和三五年勤務先の東北電力火力発電所を停年退職して在宅することが多くなったこともあって、本件豚舎から流れてくる悪臭、蝿、それに豚の泣声を極度に気にかけ、ノイローゼ症状に伴う睡眠障碍を起すに至った。
二、原告は、本件豚舎内で行っている豚の飼育によって発生している悪臭や泣声の流入、蝿の飛来が原告に対する生活妨害であるとして、昭和四一年八月以降同四二年四月までの間の精神的苦痛に対する慰藉料を請求しているのであるが、当然のことながら、不法行為というからには、悪臭や泣声等の流入が被告の故意又は過失に基くもので、かつ、違法なものとして評価されねばならないし、更に原告において損害の発生したことを要するのである。
(1) 本件豚舎内において豚の飼育をしたことが原因で、原告宅に悪臭や豚の泣声それに蝿等を流入させるに至ったことは、畢竟、本来被告の支配が及ばないはずの原告宅内における日常生活に不快さを与えた侵害行為というべきところ、そのような結果が生ずるであろうことは被告の予見していたことである。けだし、前項掲記の各証拠によれば、従来被告は自宅近くの豚小屋で養豚をしていたから、たとえ本件豚舎のように比較的設備を改善したものであっても、原告宅から約八メートルを距てたにすぎない場所で養豚をすれば、悪臭や騒音・蝿等で原告の生活に不快さを与えるであろうことは経験上知悉していたことである。
(2) ところで、われわれが社会共同生活をするうえに、多かれ少なかれ臭気、音響、震動その他雑多な生活妨害を受けることは避けられないことである。それ故に、すべての生活妨害を違法性ありとするものではなく、一般人が社会生活上受忍すべき限度を超える場合に違法となるというべきであろう。理由第一項で認定した事実並びに同項冒頭掲記の各証拠に徴すると、違法性判断の要素として以下のことが指摘でき、これらを綜合すると、結局本件における生活妨害は、四月から一一月までの間に限って受忍の限度を超えて違法であると解される。なお、豚の飼育は昭和四一年九月からはじめたので同年九月ないし一一月と翌年の四月中が本件不法行為の対象とされるわけである。
(イ) 原告宅内で受ける日常生活上の不快さは年間を通じて一様でなく、窓を開けて過す四月から一一月までが不快の程度が高く継続的であり、そのほかの冬期間とそれに接着する時期はさほどないといえよう。
(ロ) 専業農家である被告が本件豚舎を新築して従来の養豚を拡張(構造改善事業でもあった)したこと自体は、環境が古くからの純農村地帯で農家の集っているところだけに、客観的な土地利用目的からはずれたものとも云えない。従って、これに伴う生活妨害が生じたとしても都市部の住宅地域と同一に論ずることはできないのは当然である。
(ハ) しかしながら、原告が現在地に居を構えたのは本件豚舎建築に先立つこと一五、六年前のことであるから、原告が自らの手で生活妨害を招いたのではない。これに対し、被告は本件豚舎建築に際し、自己所有宅地を最も効果的に利用するために原告所有地に接する現在地を選んだのであろうが、その結果として原告に対する関係では最悪の影響をもたらすことになったのである。つまり、被告は自己の営利を目的としながら原告の困惑を考慮の中に入れていなかったのである。
(ニ) 被告の建築した本件豚舎は、従来のものと比較すればあらゆる面で改善されているとはいえ、原告宅と相当の距離を置かない限り日常生活における不快さを与えることは避けられない。それに加えて、被告が農作業のかたわら本件豚舎の手入れをしているにすぎない現在の管理状態ではなおさらである。
(3) 原告が、本件の生活妨害によって相当の精神的苦痛を受けていることは理由第一項(5)で認定したとおりである。なお、原告のノイローゼは同人特有の要因に基く疑もあるので損害から除外すべきである。
三、以上の次第で、被告の本件不法行為の成立を肯定できるが、被告が原告に支払うべき慰藉料額は、昭和四一年九月ないし一一月と同四二年四月の期間中、一ヶ月につき金四、〇〇〇円の割合による金員をもって相当とする。
四、よって原告の本訴請求中金一万六、〇〇〇円とこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四二年五月一八日以降完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条に則り、主文のとおり判決する。
(裁判官 正木宏)
<以下省略>